ESBL産生菌による感染症と隔離に関するガイドライン比較
ESBL産生菌と感染対策の概要
ESBL産生菌(基質特異性拡張型βラクタマーゼ産生菌)は、主に大腸菌や肺炎桿菌などが該当し、多くの抗生物質に耐性を示します 。このため、ESBL産生菌が原因となる肺炎や尿路感染症は治療が難しく、院内感染のリスクも高まります (Systematic review of the effectiveness of infection control measures to prevent the transmission of extended-spectrum beta-lactamase-producing Enterobacteriaceae through cross-border transfer of patients)。ESBL産生菌の伝播経路は主に接触感染であり、患者の排泄物(便や尿)や痰などを介して広がる可能性があります 。したがって、医療施設内での感染拡大防止には適切な感染予防策(手指衛生、環境消毒、隔離など)が重要となります 。
日本のガイドラインにおける隔離の必要性
日本では、厚生労働省や関連学会(例:日本感染症学会・日本環境感染学会)により、多剤耐性菌に関するガイドラインや指針が示されています。総じてESBL産生菌もMRSAやVREなど他の多剤耐性菌と同様に接触予防策の徹底が推奨されています (ESBLについて | 感染対策に関するQ&A | 徳島大学病院 感染制御部)。具体的には以下のような対策が取られます。
- 個室隔離の推奨:可能であれば患者は個室管理とし、他患者との接触を減らします (ESBLについて | 感染対策に関するQ&A | 徳島大学病院 感染制御部) 。個室が利用できない場合は、同じESBL産生菌を保有する患者同士でのコホート(一室に収容)を検討します 。ただし、異なる耐性菌(例:ESBLとMRSA)の患者を同室にすることは、互いに別の耐性菌が伝播するリスクがあるため避けるべきです (ESBLについて | 感染対策に関するQ&A | 徳島大学病院 感染制御部)。
- 接触予防策の実施:標準予防策に加えて、医療従事者は患者に接するとき手袋やガウンの着用など接触予防策を徹底します 。おむつ交換や導尿カテーテル処置時には、使い捨て手袋・ガウンを必ず着用し、処置後の手指消毒を確実に行います 。また、ドアノブやベッド柵など高頻度接触面はアルコール系消毒薬で定期的に消毒します 。
- 患者の移動制限:可能な限り患者を病室から出さず、検査やリハビリ等は必要最小限にとどめます(医療施設によっては徹底しています)。
もっとも、日本のガイドラインでは患者の状態に応じた柔軟な対応も強調されています。例えば、既に院内に蔓延しているMRSAやESBLの場合、全例を厳格に個室隔離することが現実的でない場合もあるため、院内での伝播リスクに応じて隔離や予防策の徹底度合いを判断します (H24Q&A公開用20130710)。具体例として、「尿からESBL産生菌が検出された留置カテーテル患者で、病室間を移動しない場合」は、尿の適切な回収・廃棄と手指衛生の徹底により十分伝播予防が可能であり、必ずしも個室隔離が必要ない場合もあるとされています (H24Q&A公開用20130710)。一方、大量の下痢や不顕性の尿漏れがある場合、環境を汚染し他者へ広げるリスクが高いため、個室隔離を優先するなどケースバイケースの対応が推奨されています (H24Q&A公開用20130710)。
欧米(米国CDC・欧州ECDC)のガイドラインにおける隔離策
米国CDCのガイドラインでも、ESBL産生菌はMRSAやVREと並ぶ重要な多剤耐性菌(MDRO)として位置付けられており、急性期医療施設においては接触予防策(Contact Precautions)の適用が推奨されています (Appendix A: Type and Duration of Precautions Recommended for Selected Infections and Conditions | Infection Control | CDC)。CDCの「医療現場における隔離予防策ガイドライン(2007)」では、ESBL産生菌による感染・保菌患者には標準予防策に加えて接触予防策を講じるよう明記されています (Appendix A: Type and Duration of Precautions Recommended for Selected Infections and Conditions | Infection Control | CDC)。具体的な内容は日本と概ね共通しており、以下のような点が挙げられます。
- 個室またはコホート:可能な限り個室に収容し、他患者との接触を遮断します。個室が不足する場合は、同じESBL菌株に感染・保菌した患者同士を同室に配置(コホート)しますが、異なるMDRO保菌者を混合しないよう注意します (ESBLについて | 感染対策に関するQ&A | 徳島大学病院 感染制御部)。
- 防護具の着用:医療従事者は患者に触れる際、ガウンと手袋を着用し、退出時に脱衣・手洗いを徹底します 。これはCDCガイドラインにおいても基本であり、環境表面を介した伝播を防ぐ目的です 。
- 環境清拭:患者周辺の環境表面や医療器具の消毒(アルコールや次亜塩素酸など適切な消毒剤の使用)を行い、菌の拡散を防止します 。特に共有物品は可能な限り避け、必要な場合は使用後に消毒します。
欧州ECDCにおいても、各国で類似の指針が存在します。ECDC自体はESBL産生菌拡散防止のためのガイダンスを策定しており、欧州全体でESBL産生菌の院内伝播を抑制することが重要とされています (Systematic review of the effectiveness of infection control measures to prevent the transmission of extended-spectrum beta-lactamase-producing Enterobacteriaceae through cross-border transfer of patients)。たとえば高リスク患者のスクリーニングと予防隔離は欧州で推奨される戦略の一つです。特に他国の医療機関から患者を受け入れる場合(クロスボーダーの患者転院)、入院時にESBL産生菌のスクリーニング検査を行い、結果が判明するまで予防的に個室管理・接触予防策を講じることが推奨されています (Systematic review of the effectiveness of infection control measures to prevent the transmission of extended-spectrum beta-lactamase-producing Enterobacteriaceae through cross-border transfer of patients)。これは国際的な耐性菌の持ち込みを水際で食い止める目的があります。
欧米ガイドラインの基本原則は日本と大きな差異はありませんが、実施の厳格さやスクリーニング体制において施設や地域による違いがあります。米国や一部欧州諸国(例:オランダのMRSA対策など)では「サーチ・アンド・デストロイ」と呼ばれる入念な検査・隔離戦略が伝統的に取られてきました。一方、ESBL産生菌は市中での保有者も多くなりつつあるため、全例を対象としたスクリーニングや隔離は現実的でないとして、リスクが高い場合に限定する施設もあります。この点は後述する最近のトレンドにも関係します。
隔離解除の基準(隔離の解除条件)
隔離(接触予防策)の解除基準については、日本でも欧米でも明確なコンセンサスが得られていないのが現状です。日本のガイドラインでは、ESBL産生菌に限らず多剤耐性菌保菌者の隔離解除条件は明文化されていません。理由として、一度保菌すると長期にわたり腸管内などに定着する可能性があるためです (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)。実際、MRSAでは除菌療法後に再度陽性となる例が多いこと、VREでも1年以上保菌が持続した報告があることから、耐性菌キャリアを確実に陰性化するのは難しいとされています (Management of Multidrug-Resistant Organisms In Healthcare Settings, 2006)。
そうした中で、米国CDCのガイドラインは一つの目安を示しています。それによれば、以下の条件を満たす場合に隔離解除を検討可能とされています (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)。
- 最近数週間以内に抗菌薬治療を受けていないこと(新たな抗菌薬の選択圧がかかっていない状態)。
- ドレナージの多い開放創や、大量の気道分泌物がないこと(菌を外部に撒き散らすリスク因子がない状態) (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)。
- 上記を満たす患者について、1~2週間の間隔で実施したサーベイランス培養で3回以上連続して陰性であること (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)。
この3点を満たせば、「隔離を解除してもおそらく安全であろう(許容される)」というのがCDCガイドラインの見解です (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)。具体的には、例えばESBL保菌患者の便培養や尿培養を週1回程度取り、連続3回ESBLが検出されなければ、接触予防策を解除するといった運用が考えられます。ただし、これはアウトブレイク状況にない場合の目安であり、院内で当該菌の伝播が続いている場合や重症患者が多い環境(ICU等)では、患者が退院するまで隔離を継続する保守的対応も推奨されています (Management of Multidrug-Resistant Organisms In Healthcare Settings, 2006) (Management of Multidrug-Resistant Organisms In Healthcare Settings, 2006)。特にアウトブレイク時は「一度陽性となった患者は原則として無期限に隔離継続」くらいの慎重さで臨むべきとの意見もあります (Management of Multidrug-Resistant Organisms In Healthcare Settings, 2006)。
日本の医療機関でも、このCDCの基準を参考にするケースがありますが (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)、実際には積極的な陰性確認の培養検査はあまり行われない傾向があります。理由として検査コストや労力の問題、陰性確認しても再陽性化する懸念などがあります。そのため、多くの施設では入院中は隔離継続し、退院後は地域連携先に情報提供して注意喚起する(退院時サマリーにESBL保菌の事実を記載する等)運用が一般的です。また長期入所施設では、次項のように通常の生活を妨げない範囲で標準予防策中心の対応となり、陰性確認は行われないことが多いです。
施設内感染予防対策としての位置づけ
ESBL産生菌に対する隔離策は、院内感染対策(感染管理)の一要素として位置付けられます。他の要素としては、手指衛生の徹底、環境清掃・消毒、抗菌薬適正使用(AMS)などがあります (Summary of Recommendations | Infection Control | CDC)。隔離策(個室管理や接触予防策)は、耐性菌の物理的拡散を防ぐ「垂直対策」に該当し、特定の病原体を封じ込める効果が期待できます。一方で手指衛生や環境清掃といった「水平対策」は、病原体を問わず感染症全体のリスクを下げる基本策です。現行のガイドラインは、これらを組み合わせて多層的に対策を講じることを推奨しています (Appendix A: Type and Duration of Precautions Recommended for Selected Infections and Conditions | Infection Control | CDC) (Summary of Recommendations | Infection Control | CDC)。
肺炎や尿路感染症といった臨床状況ごとの注意点もあります。肺炎患者では痰や気道分泌物を介した接触伝播に注意が必要で、吸引操作時の飛沫暴露に備えてマスク・ゴーグルの着用も検討します。一方、尿路感染症患者では尿や便中のESBL菌が手指や環境を汚染しないよう、オムツ交換や尿バッグ排液時の手袋・ガウン着用と処置後の手洗いが重要です。いずれの場合も看護ケアや処置ごとに手袋やエプロンを交換し、患者ごとに専用の器具(聴診器や体温計など)を用意することが推奨されます (Microsoft Word – H24Q&A公開用20130710) (Microsoft Word – H24Q&A公開用20130710)。
長期療養施設(介護施設など)においては、急性期病院とは異なるアプローチが取られることがあります。入所者のQOL(生活の質)を重視し、症状がなければ原則として隔離や利用制限を行わないという考え方も示されています。米国CDCは介護施設向けに「強化されたバリア予防策(Enhanced Barrier Precautions)」を提唱しており、常時個室隔離ではなく必要時に限りガウン・手袋を着用する方式で耐性菌伝播を防ごうとする試みも行われています (Preventing MDROs: FAQs | HAIs – CDC)。日本でも地域包括ケアの文脈では、耐性菌保菌者であっても通常の生活を送りつつ標準予防策で対応し、必要時にのみ追加の防護策を講じるという運用が推奨されつつあります ([相談事例]ESBL産生菌が検出された入居者様の感染対策はどう …)。
最新の推奨事項やトレンド
近年、ESBL産生菌を含むMDROに対する隔離策について、その有効性とコストのバランスを再評価する動きが見られます。従来は「耐性菌=接触隔離」が半ば常識でしたが、以下のようなトピックが議論されています。
- 接触予防策の解除・緩和の検討:院内での耐性菌保菌率が高まる中、流行がない場合には全患者に一律の接触隔離をしなくても良いのではないかとの検討があります。実際、米国のある病院ではESBL産生大腸菌や肺炎桿菌に対する接触予防策を2017年に中止し、その後もこれら耐性菌の院内有病率が増加しなかったとの報告があります ( Taking off the gown: Impact of discontinuing contact precautions for extended-spectrum β-lactamase (ESBL)–producing organisms – PMC )。また、MRSAやVREについても一部の医療機関が接触予防策を見直し、標準予防策の徹底と環境清掃に注力する方針へ切り替えた事例があります。このような変更により、防護具使用の負担減少や患者の精神的負担軽減(隔離による抑うつの緩和など)につながったとの報告もあります (Management of Multidrug-Resistant Organisms In Healthcare Settings, 2006) (Management of Multidrug-Resistant Organisms In Healthcare Settings, 2006)。もっとも接触予防策を中止した施設では、一部で伝播率の上昇も報告されており(例:リハビリ病棟で8.8%の同室者への伝播率) ( Prospective Validation of Cessation of Contact Precautions for Extended-Spectrum β-Lactamase–Producing Escherichia coli – PMC ) ( Prospective Validation of Cessation of Contact Precautions for Extended-Spectrum β-Lactamase–Producing Escherichia coli – PMC )、安易な解除には慎重さが求められます。専門学会(SHEAやCDCなど)も「エビデンスが不十分な中での隔離解除は慎重に」「解除するなら明確な基準を設けて」といった勧告を出しており (SHEA offers cautious guidance on easing contact precautions for …)、現時点では施設ごとのリスク評価に基づく判断となっています。
- アウトブレイク対策の強化:一方で、新たな耐性菌の流入や院内アウトブレイク時には、引き続き厳格な隔離とサーベイランス強化が推奨されています。欧州では2010年代以降、ESBL産生菌の流行に対して各国が新たなガイドラインを制定し、発生時の封じ込め策(早期検出、直ちに隔離、接触者のスクリーニング等)を整備しています (Systematic review of the effectiveness of infection control measures to prevent the transmission of extended-spectrum beta-lactamase-producing Enterobacteriaceae through cross-border transfer of patients) (Systematic review of the effectiveness of infection control measures to prevent the transmission of extended-spectrum beta-lactamase-producing Enterobacteriaceae through cross-border transfer of patients)。日本でも「中小病院における耐性菌アウトブレイク対応ガイダンス」 ([PDF] 中小病院における 薬剤耐性菌アウトブレイク対応ガイダンス)が策定されるなど、院内発生時の具体的対処法が共有されています。特にCRE(カルバペネム耐性腸内細菌)のようなより危険度の高い耐性菌では、ESBL以上に強力な隔離策が求められており、これらの対策はESBL制御にも応用可能です。
- 抗菌薬適正使用と地域連携:感染対策のトレンドとして、菌そのものを隔離する対策だけでなく、耐性菌を生み出さない取り組みが重視されています。抗菌薬の乱用を減らす抗菌薬適正使用(Antimicrobial Stewardship)プログラムは、日本・欧米いずれでも推奨されており、ESBL産生菌による感染症を減らす根本策として位置づけられています (Summary of Recommendations | Infection Control | CDC)。また、地域全体で耐性菌情報を共有し、患者搬送時に情報提供を行うなどの連携強化も図られています。これにより、院内での驚きの持ち込みを防ぎ、過剰な隔離の必要がない環境作りを目指しています。
日本と欧米の比較まとめ
隔離の必要性と基準に関して、日本と欧米のガイドラインは大筋で共通しており、「ESBL産生菌による感染症は接触予防策を講じて院内伝播を防ぐ」という点で一致しています (Appendix A: Type and Duration of Precautions Recommended for Selected Infections and Conditions | Infection Control | CDC) (ESBLについて | 感染対策に関するQ&A | 徳島大学病院 感染制御部)。隔離解除基準について明確な相違はありませんが、CDCが提示する3培養陰性基準 (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)は日本の現場でも参考にされる一方、実際の運用では日本ではより慎重(入院中解除しないケースが多い)であることが多い点は若干の違いと言えます。
また、実施上のアプローチでは、日本は必ずしも画一的隔離ではなく現場の判断による柔軟性があります (H24Q&A公開用20130710)。欧米でも近年はエビデンスに基づき柔軟な対応を模索する動きが出ており、この点で収束しつつあります。総じて、日本では諸外国のガイドラインを踏まえつつ自施設の状況に合わせた対策を講じており、欧米でも地域の流行状況やリソースに応じた策が取られています。
今後も耐性菌に関する知見や流行状況は変化するため、最新のガイドラインや研究動向を注視し、エビデンスに基づいた隔離の必要性評価を行うことが重要です。ESBL産生菌による肺炎や尿路感染症から患者を守り、かつ適切な医療提供と患者QOLの両立を図るために、隔離の要否と解除基準を的確に判断する体制づくりが求められます。
参考文献・情報源: 日本国内の感染対策Q&A (ESBLについて | 感染対策に関するQ&A | 徳島大学病院 感染制御部) (Microsoft Word – H24Q&A公開用20130710)、丸石製薬提供資料 、米国CDCガイドライン (Appendix A: Type and Duration of Precautions Recommended for Selected Infections and Conditions | Infection Control | CDC) (ESBL-s大腸菌の検出された例についての感染対策|感染管理Q&A|ASP Japan合同会社)、ECDC報告 (Systematic review of the effectiveness of infection control measures to prevent the transmission of extended-spectrum beta-lactamase-producing Enterobacteriaceae through cross-border transfer of patients)等
コメント