中等度大動脈弁狭窄症(AS)に対する薬物療法と疾患進行の管理
血圧管理と心不全治療
中等度AS患者では、高血圧の適切な管理が重要です。後負荷の軽減によって脳卒中量が増加しうるため、無症状のAS患者でも高血圧の治療が推奨されています。血圧降下薬は低用量から開始し、慎重に漸増します。特にACE阻害薬(ACEI)やARBは、中等度~重度AS患者でも忍容性が良好であり、症状のある患者では運動耐容能の改善や息切れの軽減につながることが報告されています。実際、Ramiprilを用いたRCT(RIAS試験)でも、ACEIの使用により左室肥大の軽減が見られ、安全性も確認されています ( A prospective, double-blind, randomized controlled trial of the angiotensin-converting enzyme inhibitor Ramipril In Aortic Stenosis (RIAS trial) – PMC )。
心不全症状の管理も中等度ASではポイントです。左室駆出率が低下したり心不全症状が出現した場合、一般的な心不全治療(ACEI/ARB、β遮断薬、利尿薬など)が考慮されます。ただし、ASでは過度の前負荷低下に敏感なため、利尿薬は慎重に使用し、投与量に注意します。強い血管拡張作用をもつ薬剤(例えば末梢α遮断薬や硝酸薬など)は血圧低下や失神を招くおそれがあるため可能な限り避けます。一方、第二世代のジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬は収縮能抑制が少なく、AS患者でも安全に使用できる可能性があります。心房細動を合併する例(AS患者の約5%)では、心拍数の厳密なコントロールが必要です。β遮断薬や一部のカルシウム拮抗薬で心拍数を抑制できますが、これらも過度な心機能抑制を招かないよう注意が必要です。心房細動に伴う急性心不全悪化のリスクもあるため、リズムやレートの管理は周到に行います。
抗凝固療法とその他の内科的管理
中等度ASそのものに対する抗凝固療法は ルーチンには推奨されていません。ただし、心房細動(AF)を合併する場合には、脳梗塞予防のため一般的なガイドラインに従って抗凝固療法を行います。特に、リウマチ性弁膜症ではない変性AS患者でAFを生じた場合でも、CHA₂DS₂-VAScスコアに基づきDOAC(直接経口抗凝固薬)やワルファリンを検討します。また、人工弁置換後であれば機械弁ではワルファリン内服が必要です(中等度AS患者は通常まだ置換適応には至りませんが)。一方、動脈硬化危険因子の管理も重要です。AS患者は冠動脈疾患(CAD)を合併することが多く、ACC/AHAガイドラインでもリスク因子の評価と是正が推奨されています。具体的には、禁煙指導、脂質管理、糖尿病のコントロールが含まれます。特に高齢AS患者ではアテローム硬化の進行を抑える目的でスタチン療法を行うことがありますが、スタチンがASの弁狭窄進行を遅らせる効果は証明されていません。大規模RCT(例えばSEAS試験など)でも、LDL低下療法によるAS進行抑制効果は認められず、現在までASそのものの進行を遅延させる確立した薬物療法は存在しません。したがって、中等度ASでは内科的には高血圧や心不全など合併症の管理と症状緩和が中心となり、定期的な経過観察によって弁狭窄の進行をモニタリングします。
疾患進行の遅延に向けた試み
中等度ASは多くの場合進行性であり、定期的なエコーフォローが必要です。一般にASの進行速度は年間で平均弁口面積0.1~0.3 cm²の減少、および左室-大動脈圧較差約+3 mmHgの上昇と報告されています。これは中等度ASの患者が数年で重症ASへ進行しうることを示唆しており、早期からの注意深い管理が重要です。疾患進行そのものを遅らせる確立された薬剤はありませんが、前述のRAAS阻害薬(ACEI/ARB)による左室肥大抑制効果など、心筋リモデリングの観点から有益な可能性が示唆されています ( A prospective, double-blind, randomized controlled trial of the angiotensin-converting enzyme inhibitor Ramipril In Aortic Stenosis (RIAS trial) – PMC )。また、リスク因子の是正(高血圧・高脂血症・喫煙など)や炎症のコントロールが弁硬化の進展抑制につながる可能性も検討されています。しかし現時点では、こうした介入がASの自然経過を大きく変えるエビデンスは十分ではありません。したがって最新のガイドラインでは、中等度AS患者に対して定期的な経過観察(例えば年1回の心エコー検査 (Aortic Stenosis: A Focused Review on the Elderly | Consultant360))と症状出現時の早期対応(外科的・経カテーテル的治療の検討)が強調されています。薬物療法は主に症状緩和と合併症管理の役割に留まり、根本的治療はASが重症化した段階での弁置換術(外科的AVRや経カテーテル的大動脈弁留置術TAVI)となります ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。
中等度AS患者の全身麻酔下手術におけるリスク評価と管理
術前評価とガイドライン
中等度AS患者が骨折などで全身麻酔下の非心臓手術を受ける場合、周術期のリスク評価が欠かせません。まず術前の心エコー評価は必須で、ガイドラインでもAS既往患者では1年以内に心エコーを行っていない場合や臨床状態に変化があった場合には、手術前に最新の心エコー検査でASの重症度を評価することがクラスI推奨とされています。術前評価では大動脈弁口面積や圧較差だけでなく、左室機能、肥大の程度、そして症状の有無を確認します。症状の有無はリスクに大きく影響し、無症状ASと症状性ASでは後述するように予後が異なります。また、高齢患者では冠動脈疾患(CAD)の合併も多いため、必要に応じて虚血評価(非侵襲的ストレス検査や冠動脈CTなど)を行い、術中の心筋虚血リスクも評価します。併存症として慢性腎臓病(CKD)も重症度評価に影響しうるため考慮します。
ガイドライン上、重症AS患者に対しては非心臓手術の前に弁置換を行うかどうかの判断が示されています。一方、中等度ASについては直接的な介入勧告はありませんが、リスクプロファイルに応じた慎重な評価が求められます。ESCガイドライン(2014年版)では、症状のある重症ASでは手術リスクが許容範囲であれば先行して大動脈弁置換術(AVR)を推奨し、AVR自体が高リスクな場合はバルーン弁拡張術(BAV)や経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVI)による橋渡し的処置も検討可能としています ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。無症候の重症ASでは予定する手術の侵襲度に応じ対応が異なり、高リスク手術(予想される周術期死亡率>5%)では事前のAVRを推奨し、中低リスク手術であれば弁手術なしでそのまま進めることが推奨されています ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。中等度ASの場合、重症ASほどの厳格な指針はないものの、患者個別のリスクに応じた判断となります。概ね低~中等度リスクの非心臓手術であれば中等度ASは容認されると考えられていますが、高リスク手術(大血管手術、食道切除術など)では中等度ASでも術後合併症リスクに注意を要します。米国のACC/AHAガイドライン(2014年)でも、無症状の重症AS患者に対して中程度リスクの選択的非心臓手術を行うことは適切と判断される(Class IIa)とされており (Management of aortic stenosis during non-cardiac surgery)、これは適切なモニタリング下であればASがあっても手術遂行は可能であることを示唆します。したがって70歳の中等度AS患者でも、症状がなく術前評価で左室機能や他のリスクが許容範囲であれば、骨折手術など必要な非心臓手術はガイドライン上許容されるケースが多いです。
周術期の管理と禁忌事項
麻酔および周術期管理では、中等度AS患者の血行動態を安定させることが最重要です。ガイドラインでも、未治療の弁膜症患者が手術を受ける場合には以下の一般的対策を推奨しています ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC ):
- 麻酔法の慎重な選択:全身麻酔か区域麻酔かは症例に応じて選択しますが、AS患者では急激な血管拡張による血圧低下を避ける必要があります。脊髄くも膜下麻酔(スパイナル)は交感神経ブロックで急激な血圧低下を起こしうるため、必要な場合は硬膜外麻酔のようにゆっくりとした導入を検討するか、十分な血圧管理策を準備します。全身麻酔下でも導入・覚醒時の循環変動に注意し、適切な麻酔深度の維持と静脈輸液負荷で前負荷を保つよう努めます。極端な徐脈や頻脈も避け、洞調律維持が望ましいです。
- 侵襲的ヘモダイナミクス監視:中等度ASでも、手術が中等度~高リスクであれば動脈ライン(Aライン)による連続血圧監視が推奨されます ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。必要に応じて経食道エコー(TEE)や中心静脈圧モニタリングを併用し、循環状態を綿密に観察します。特にAS患者では冠血流維持が重要なため、平均血圧低下にいち早く対処する体制を整えます。
- 容量・血圧の安定確保:術中は急激な循環血液量の変動を避けるよう管理します ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。出血に対しては早めの輸液・輸血で還流量を保ち、過度の利尿や血管拡張薬投与は控えます。必要最小限の利尿薬や血管拡張薬であっても、使用時は動的な血圧変化をモニタして対応します。血圧低下時にはフェニレフリンなどα作動薬で後負荷維持を図ります。反対に血圧上昇や頻脈が起これば、心筋酸素需要増大による虚血リスクがあるため、適切な深度の麻酔やβ遮断薬で管理します。
- 不整脈の積極的治療:心房細動や頻拍性不整脈が術中・術後に発生した場合、迅速に対応して洞調律および適切な心拍数を確保します ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。心房細動が新規出現した場合は、薬物で心拍数を抑制するか直流除細動で洞調律復元を検討します。心室頻拍や心室細動といった致死的不整脈にも備え、必要な蘇生薬剤・除細動器を準備しておきます。徐脈性不整脈の場合は一時的ペーシングの準備も考慮します。AS患者では心房収縮(心房キック)が心拍出量維持に寄与するため、心房細動による心拍出量低下には特に注意を払い管理します。
以上のような周術期管理によって、多くの中等度AS患者は安全に非心臓手術を乗り切ることが可能です。禁忌事項として明確に挙げられるのは、症候性重症AS患者の不要不急の手術です。症状がある重度ASでは、緊急手術でない限りまず弁治療を優先すべきであり、それをせずに手術を強行することは極力避けます ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。中等度ASの場合は重症ほどの厳格な禁忌はありませんが、術前の症状評価を怠り実は重症化していたASを見逃すことがないようにする必要があります(高齢者では軽度の症状が見過ごされがちです)。また、中等度ASとはいえ急性循環変化には脆弱である点は念頭に置き、術中管理でそれを代償できない状況(例えばコントロール不良の敗血症性ショック下での手術など)は回避すべきでしょう。
70歳高齢者における手術リスクデータと予後
70歳の中等度AS患者が全身麻酔下手術を受ける際のリスクは、若年者に比べて高いものの、近年の研究では適切な管理下で許容できる範囲であることが示唆されています。ASの有無と重症度が周術期リスクに与える影響を検証した大規模解析によれば、中等度AS患者では非AS患者に比べて術後合併症(心筋梗塞や死亡)のリスクが有意に高いことが報告されています ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。具体的には、近年のデータでは中等度ASの患者の30日以内の死亡または心筋梗塞発生率は約4.4%と推定され、同年齢層でASのない対照では1.7%であったことから、有意なリスク上昇が見られました(p=0.002) ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。一方、重症ASでは同様の30日イベント率が5.7%(対照2.7%)とさらに高く、特に症状のある重症AS患者では8.3%に達するとの報告もあります ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )。このように、中等度ASでもリスク上昇は無視できませんが、重症ASほどではないことがわかります。歴史的には1990年代の報告で中等度AS患者の術後合併症率が11%にのぼったとのデータもありますが ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )、近年の周術期管理の進歩によりリスクは低減していると考えられます。
高齢者ではASの有病率自体が高く、75歳以上ではAS有病率がおよそ2.8%に達するとの疫学研究があります。70歳前後の患者では中等度ASは珍しくなく、この年代の患者が整形外科的手術など非心臓手術を受けるケースも増えています。高齢AS患者はしばしば高血圧や糖尿病、CADなど複数の合併症を有するため、手術リスク評価には包括的なアプローチが必要です。周術期の心血管イベント発生率はAS非合併患者より高めではあるものの、上記のように適切なモニタリングと管理で多くは乗り切れる範囲です。実際、無症状の中等度AS高齢患者であれば手術そのものは問題なく施行できることが多く、術後経過も合併症なく経過する例が大半です。重要なのは、術後の経過観察と長期予後管理です。中等度ASが存在する70歳患者では、術後も定期的に心臓フォローアップを続け、ASの進行に応じて将来的な弁置換のタイミングを見計らう必要があります。中等度ASは数年以内に重症化し得るため、術後も心不全症状の出現や運動耐容能の低下に注意し、必要なら早めに心臓専門医へのコンサルテーションを行います。
総合すると、最新のガイドラインや研究では、中等度AS患者に対しては内科的に血圧・心不全管理を行いつつ経過観察を継続し、必要時に外科的治療を検討する戦略が推奨されています。骨折手術など全身麻酔が避けられない状況では、周術期のきめ細かな管理により多くの70歳中等度AS患者が安全に手術を乗り越えられます。ただし常に個々の患者のリスクプロファイルを評価し、症状の変化や疾患進行に目を配ることが、良好な予後を得る上で不可欠です。
参考文献:
最新の欧米ガイドライン ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC ) ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )
研究論文 ( Expert Opinion: Guidelines for the Management of Patients with Aortic Stenosis Undergoing Non-cardiac Surgery: Out of Date and Overly Prescriptive – PMC )
コメント